かつん

めもりー

◎独り言

 

 

ただの独り言をつらつら書きます。

 

 

 

先日、亀梨くんの名前が出ました。

ある意味衝撃と言うか複雑。

 

赤西くんが嫌いなわけじゃない。

(今でも好きです。)

 

ただ、KAT-TUN時代の好きとはまた違う感覚。

 

本音で言えば、2009年以降からそんな感覚だった。

一個人としては好きだけども、グループとして

考えたら、、、みたいな。

そうなった原因は色々あるけど、、も。

 

 

別に亀梨くんの名前が出たところで

メリットもデメリットない。

けど、少なからず影響はありますよね。

 

だからこそ、何か複雑でした。

 

喜びたいけど喜べない。うん。そんな感じ。

 

いろんな方面から、いろんな思いや言葉が

生まれるんだろうなぁ。

 

良くも悪くも捉え方は人それぞれ。

 

私の場合は、複雑。って感じwww

 

 

 

もう10年以上経って、それなりに時間も過ぎて

多少は免疫ついたけど

やっぱ元メンバーが現メンバー(逆もまた然り)の

名前を出すとドキッとする。(色んな意味で)

 

 

 

グワァって過去に引き戻されちゃうww

 

常に思い出として楽しませてもらってるけど

と言うか、思い出に浸りまくってますが!汗

 

 

何が言いたいか分からんけど

 

今日も、亀梨和也が好きです。

 

 

アルバム延期でも何でも健康で

無事ならそれでいいよ。泣

 

 

 

ソロコン観ようかな。

 

 

うん、観よう。

 

 

 

 

 

みよん

◎卒業

 

 

 

オタクの始まり。

 

ただ私のオタク人生を振り返っただけですが

懐かしいやら恋しいやら、色んな感情が蘇りました。

 

 

泣いて笑って喜んで怒って

沢山の思い出を与えてくれたKAT-TUN

 

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6人、5人、4人、3人と、時代を過ごしてきましたが

一番思い入れがあるのは6人です。

決して、6人時代が1番良かった。とか

そんな事を言いたいわけじゃありません。

 

理由として、初めてKAT-TUNに心奪われたのは

6人だったってだけの話です。

 

自担が脱退してから、私の心の支えは

ソロアーティスト赤西仁ではなく

KAT-TUN亀梨和也でした。

 

仁くんが嫌いになったわけじゃないです。

今でも好きです。

 

ただ、私が大切なのは

KAT-TUNというグループでした。

 

支えたい、守りたい。と思ったのは

過去も含めたKAT-TUNでした。

 

メンバーが好き。

歌が好き。

曲が好き。

ライブが好き。

踊りが好き。

KAT-TUNの全部が好きなんです。

 

だからこそ、どんな形であれ

KAT-TUNが存在し続ける限り

私はきっとオタクのままなんだろうなと思いますww

 

 

仁くんがいなくなって

亀ちゃんに乗り換えした感じですが

簡単に言えばその通りですよね。汗

 

と、言っても私の中で亀ちゃんの存在は

特別だったってところもあります。

 

仁くんの隣には、いつも亀ちゃんがいました。

(シンメってやつです。鼻息)

 

もう、2人で一つなんじゃないか説が

私の中でありましたからwww

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分かりやすく言えば、仁よりの仁亀担って感じ。

どちらかを語る上で切り離せない存在。

それが、仁亀!!

(この気持ち、、ご理解ください。泣)

 

 

言葉で表すのは難しいけれど

仁くんから卒業出来たのは、亀ちゃんがいたから。

 

KAT-TUNではなくなった彼を

受け入れる事が出来たのも、亀ちゃんがいたから。

(他メンバーのおかげでもありますが、、)

 

 

違う角度から、赤西仁というアーティストを

見る事が出来たんです。

 

 

と、言っても思い出は振り返りますww

だって、好きだからww

 

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こればっかりは、仕方ない。

 

 

タメ旅観てきまーす♪逃

 

 

 

 

みよん

 

 

ちなみに、19年前の今日は

KAT-TUNが初めてこの世に紹介された日。

ポップジャムですね。懐かしい。泣

 

懐かしくて、幸せです。

 

 

◎オタクの始まり⑧

 

 

 

前記事の続き・・・

 

 

いつまで続くねん。って言うww

もうそろそろ終わります、てか終わらせます。

 

さて、話は戻りまして2009年。

かなり時代は進んでしまいましたが

そこは敢えて気にしないで下さい。汗

 

2009年

この年は色々ありました。

この年だけじゃなく、ずっと色々ありますけど!!

 

まずは、アルバム

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『Break the Records -by you&for you』をリリース。

 

次に、コンサート

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『東京ドーム連続公演』です。

しかも、当初7日間だったのが8日間に変更!

労働基準法的に大丈夫?と言いたい所ですが

(所謂、ブラックですねww)

そんなの彼らには関係ございません←

この時のライブ応募者数は84万人。

そりゃ追加するよねww

トータルの動員数は、81.5万人。

東京ドーム14回公演分。

アリーナレベルなら50回公演分。です。(2度目の解説w)

 

もうご存知だとは思いますが

東京ドームを8日間ジャックしたのは

KAT-TUNだけです。

 

もう一度言います、、、

KAT-TUNだけだからね!

逆にこんな事するの、KAT-TUNぐらいだと思う。(褒めてます)

 

ファンとしては嬉しい話なんだけど

8日間って聞いて普通に心配した記憶がある。

大丈夫!?

体力持つの??って。

 

でも、彼らはやり遂げました。

凄い。としか言いようがないです。

 

 

 

 

 

そして、2010年。

 

 

映画"BANDAGE"公開。

劇中のLANDSボーカリストとしてシングル、アルバムをリリース。

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ここで、あの時感じた不安の正体が判明しました。

KAT-TUNではない、彼の姿。

ひとりのアーティストとして歌う彼が

恐ろしく感じたのです。

 

本来であれば、自担の活躍を喜ぶべきなんでしょうが

私は素直に喜べなかった。

(映画に関してはまた別の話ですけど、、汗)

 

少なからず、数年間という時間を

赤西仁に費やしてきましたから

彼がどんな人間なのか理解してたつもりです。

(どんな人間=アイドル・アーティストとして)

 

間違いなく彼にとって転機になるだろう。

直感で思いました。

 

別にソロ(または、別枠)で活動する事は珍しくない。

ただそれは、ドラマやメディアでの話。

 

音楽活動で、ソロはなかったからこそ

彼の中にある"何か"が変わるんじゃないかと。

 

赤西仁という人間は、KAT-TUNの中でも

才能を前面に感じさせる存在でした。

 

歌、そして魅せ方。

音楽に対する考え方など。

 

好きな事に注ぐ情熱と自由さは誰よりも持っていました。

 

だからこそ、不安だった。

 

 

グループから、ソロ。

"自分"対"自分"の環境は、才能が発揮される。

 

 

2月

 

日生劇場ソロライブ『Star Live 友&仁(You&Jin)』

そして、ロサンゼルス公演も行いました。

 

けど、、KAT-TUNのライブに彼の姿はなかった。

もうこの時点で結末が予想出来ましたよね。

 

でも信じたかった。

KAT-TUNとしての彼を。

 

最後の方になれば、愚痴ですよ。愚痴。

彼に対してマイナス要素の言葉しか

出ませんでした。(好きだからこそです)

 

2010年に入ってからの彼は別人のようでした。

そこには色んな理由や、状況があったとしても

苦しかったし、辛かったです、、。

 

 

 

2010年8月

KAT-TUNから、"A"赤西仁の名前が消えた。

 

この日を迎えるまで、彼らにもファンにも

様々な事がありました。

彼が残した物はあまりにも大きかった。

 

でも、私はやっと解放されたって気持ちもありました。

彼に対する言葉に、疲れ切っていたのです。

 

好きだからこそ、理解したい。

応援したい気持ちはありました。

けど、そんな気持ちも許されない。

言っちゃいけないような状況でしたから。

 

それぐらい、彼が残した物は大きかった。

良い意味でも悪い意味でも。

許せない気持ち、応援したい気持ち。

 

もう滅茶苦茶です。

 

それぐらいKAT-TUNの彼が好きだった。

好きだったんです。

 

 

"方向性"の違い。

KAT-TUNじゃ出来なかったのか

ジャニーズじゃ出来なかったのか

それは、本人達にしか分かりません。

 

けど、彼がしたいこと、やりたいことを

音楽を通して伝えてくれてる今現在。

 

何が正しくて、間違ってるか分からないけど

好きで良かった。と感じてます。

 

ほんと、色々あったけどね。

赤西脱退後もありすぎて書ききれないけど!!泣

 

 

私のオタクの始まりは、KAT-TUN

赤西仁だった事は事実です。

 

 

 

彼がいたからこそ、今もKAT-TUNが好き。

 

 

これも、変わらない事実です。

 

 

 

ありがとう、KAT-TUN

 

これからもよろしくね。

 

 

 

みよん

◎オタクの始まり⑦

 

前記事の続き・・・

そろそろ、終わりにしなければww

 

色々あるKAT-TUNですが

ツアーもスタート、冠番組もスタート

ライブDVDも発売!!

そして、アルバムも発売!

(勿論、彼は留学中なのでジャケ写不在)

 

5人活動から、半年が経ったある日

"サングラスにもっさりヘアー"の赤西仁

極秘帰国したと報じられます。

 

取り敢えず、私が放った言葉は

『髪の毛!?』でした。

いやー・・・色々感じた事はあったんですけど

あのビジュアルに衝撃。

 

細身の赤西君でしたが、太ったのか鍛えたのか

何なのかww

あれ、どうしたの?的な。

 

まあ、留学中も噂でしかありませんが

おいおい。って話を聞いたりしてましたから

彼に対してモヤモヤした事もあります。

 

ただ彼にとって、あの半年は間違いなく

貴重な体験であり、沢山学んで帰ってきたと思います。

 

おかえり。待ってたよ。

純粋に嬉しかったんです、、彼が戻ってきてくれた事が。

 

けど、戻ってくるって普通じゃない?

思ってる自分もいました。だって彼はKAT-TUNなんだもん。

 

 

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(これは泣いた)

 

帰国、会見、アンコール登場など

6人の姿を見て、何故か漠然とした不安が生まれていました。

 

どこに、どんな不安を感じていたかすら分かりません。

 

そんな不安は一旦置いといて、彼はツアーに

途中参加を果たし、極自然にKAT-TUNに戻りました。

 

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その後、6人としての活動を再開したKAT-TUN

 

 

"敵無し、不可能無し"

言葉の通り、唯一無二のグループとして

KAT-TUNは突き進んでいきました。

 

 

 

5人時代があったからこそ

6人の素晴らしさ、格好良さ・・・

一人一人の重要性を感じた2007〜2009年。

 

 

 

あー懐かしくて、禿げそう。汗

 

 

みよん

(次で終わりたいww)

 

◎オタクの始まり⑥

 

 

前記事の続き・・・

 

数十年をまとめるのは、難しいですね。

無謀な気がしてきましたww

 

取り敢えず続きを振り返って見ます。

 

 

さて、2006年

華々しいデビューを果たしたKAT-TUN

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Wikipediaに頼りますが

これだけの快挙を成し遂げています。

 

それだけじゃありません、少し戻りますが

デビュー前にドーム公演を行い世間を騒つかせました。

(デビュー前にドーム出来るなんてありえないです、史上初!!)

 

デビュー後に開催されたツアーは追加公演も含め

63.3万人を動員。

東京ドーム11回公演分。

アリーナレベルなら40回公演分。です。(分かりづらいw)

 

いやぁ、、流石KAT-TUNって感じ。

その一言に尽きます。汗

 

 

と、まあその後もドラマや番組などなどに

引っ張りだこの彼ら。

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(懐かしい24時間テレビ〜!)

 

 

 

10月

 

デビューから半年が経った後

"赤西仁 活動休止発表"の知らせが入ります。

海外に留学する事となり・・・

まさに青天の霹靂です。

 

姉②から聞かされた時は、商店街で叫びました。

スーパーに行った帰りだったんですよ。

今でも忘れません。

その場から動けなくなりました。

 

信じられない気持ちのまま、翌日の緊急会見を迎えます。

 

もう何が何だか分かりません。

とんでもないダメージを負ったのは確かで

生まれて初めてテレビの前で号泣しました。

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(まさにこんな感じ)

 

本音で言えば、留学よりもKAT-TUNとしての

活動を優先して欲しかったし

今この時期にする必要があるのかどうか

理解できませんでした。

 

ただひとつ分かったのは

彼の強い意思や、希望の上での決断という事。

 

応援するしかないし、帰ってくるのを待つしかない。

それしか選択肢が無かった。

 

何をどう足掻こうが、変わる事のない現実です。

 

彼が留学に旅立った後は、5人での活動が始まりました。

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ここらへんはダメージが大き過ぎて

5人のKAT-TUNを見るのも辛かったし、苦しかったです。

 

彼がいない分、必死でフォローし合い前を向いて

活動してる姿は色んな感情が溢れます。

 

愛おしさ爆発です。

みんな頑張ってるんだから

私も頑張らないと、、って。

 

 

5人になっても、変わらない愛を届けてくれた彼ら。

 

本来であればファンが支えてあげなきゃって状況だけど

沢山5人に支えられ助けられたなと思います。

 

 

毎年恒例のカウコンにも5人で出演し

年明けには明るいニュースが。

 

KAT-TUN Sping Tour 2007決定。

(追加公演も後々発表)

KAT-TUN初の冠番組が決定。

 

叶うならば、6人でスタートして欲しかったけど

それはそれだから!

喜ばしい事には変わりない。

 

 

年末に掛けてどんよりムードだった私も

やっと元気を取り戻せました。泣

 

 

本当に感謝デス。

 

 

みよん

◎オタクの始まり⑤

 

 

前記事の続き・・・

 

2005年後半と言えば、野ブタ。をプロデュース

修二と彰ですよね。

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CD出すの!?えっ、何それ。

美味しいの?的なノリで捉えていた私。

 

後々のエピソードで語られていますが

亀ちゃんの苦労など知りもせず

当時は浮かれまくってました。汗

 

ごくせん終了後、すんなりデビューすると

思ってましたからね。

世の中そんな甘くないのか、何なのか

そこは大人の事情ってもんなんでしょうけど

 

んなもん、知らねぇ。

ちゃっちゃとデビューしろよ!

思ってました。(ごめんなさい。)

 

これまで何度か噂は流れ、その度に

落胆した事もありましたから、、

(そんなの彼らが1番感じてたと思います)

 

でも、間違いなく修二と彰のおかげで

彼らの勢いが増したのは事実ですし

今が狙い目と事務所が動き出しました。

 

2006年 1月

エイトとの合同舞台

"DREAM BOYZ"が千秋楽を迎えます。

調べればすぐに分かる事ですが

千秋楽後、デビュー決定の速報が入りました。

 

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舞台お疲れ様〜からの、で、デビュー!?

お、おめでとおおおおおおっ!(歓喜)

会見とか聞いてないよー!?

 

そろそろかな、、とは思ってたけど

さすが、ジャニー社長

しれっとぶっ込んできました。

 

 

 

そして、公式でも発表。

 

KAT-TUN 3/22 DEBUT』

うわー・・・活字で見ると泣けるっ。

 

そしてJ-One Records設立に加えて

・シングル、アルバム、DVDの3アイテム

東京ドーム始めとする全国9都市34公演ツアー

3アイテムの詳細発表。

シングルに関しては、通常盤の他に

限定盤は6パターンという豪華さです。

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この時点で、お小遣いじゃどうにもならない事実が発覚しますww

・全てコンプしたい人向けに限定BOXも発売。

・Mステ生中継決定

・追加公演決定

・渋谷乗っ取り事件など、、、ww

 

 

まとめきれてませんが

とにかく豪華です。お金掛かってますww

 

だって、作詞スガシカオ氏・作曲B'zの松本孝弘氏だよ?

ここ忘れちゃダメなポイントだよね。

詳細出た時、五度見ぐらいしたもんww

 

  

と、まあデビューが確定し

ますます勢いに乗るKAT-TUN

 

忙しさもハンパなくて

こっちも必死でしたから

2月なんてあっという間に過ぎて

3月に入り・・・

 

記念すべき、22日を迎えます。

 

2001年結成から5年が経ち、やっと掴んだ夢。

そして、未来への第一歩。

 

 

純粋に嬉しくて、涙が出ました。

彼らに出会えて良かった、、

彼らのファンで良かったって。

 

 

それは今でも変わらず感じる事です。

 

 

KAT-TUN

K=亀梨和也

A=赤西仁

T=田口淳之介

T=田中聖

U=上田竜也

N=中丸雄一

 

"この6人が集まらなければKAT-TUNという

グループはもしかしたらなかったかもしれないし

僕自身もKAT-TUNのメンバーとして

みなさんと出会う事はなかったのかもしれません。"

 

 

みんながKAT-TUNで良かった。

そう強く思った2006年、3月22日でした。

 

 

 

 

みよん

◎オタクの始まり④

 

前記事の続き・・・

(いつまで続くのか。汗)

 

 

コンサート参戦中のみよんさん。

オープニングから数曲目で天に召されます。

 

が!

まだまだこれからなんですね。

 

 

当時、まだトロッコが客席を盛り上げていた時代。

今じゃ安全面など諸々の理由から

無くなってしまいましたが、、、

 

そうです、トロッコです。

ロッコ来たんですぅぅぅぅ・・・泣

 

油断していたその隙に、私の背後から

JIN AKANISHI〜〜

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(このビジュアルでこの衣装だったよ)

腰抜かすというか、目ん玉飛び出たww

確か、ノーマタ・マターだったかな。

もう記憶が曖昧ww

 

時間にして数分、いや数秒なのかもしれない。

スタンドがリアルに揺れたと思う。

仁くんに向かってドッサァと人が集まってて

何か流されちゃったのね、私。

 

じゃあ、流された先が・・・

目の前だったわけです。

 

この時、人生の運を使い果たしたよ。

見上げれば赤西仁

手を伸ばせば赤西仁

飛び付ける距離っ!

 

でも、頭ん中大パニックだし

周りも大混乱だし

どうする事も出来なかった・・・けど

 

まさかのお触りキタッー!(言い方)

正確にはハイタッチ的なやつです。

 

あの時、押し潰されそうになる少女を

哀れんでのファンサだったに違いない。(そうじゃない)

 

名付けてトロッコサプライズ♡

これを超えるサプライズを

未だ体験しておりませんww

 

その後、Peaceful daysからのMCが始まり

後半戦へ進んでいきます。

 

各メンバーのソロは、個性溢れる世界観で

たっぷり酔いしれて・・・

(超長くなるので割愛しますw)

 

ソロコーナーが終わると

ラストスパートに入ります。

 

えぇ、勿論最高でした。

最高過ぎて記憶が・・ww

 

本能で楽しんだってヤツですかね←

聴きたい曲とか、全部聴いたって感じで

とにかく暴れてました。

 

 

そして、最後の曲はプレワン。

感動、、、、感動。泣

 

みんなの表情とか、声とか、泣ける。

この曲はズルいよね。

今聞いてもグッと来ちゃいます。

 

で、プレワン後のアンコール。

 

ここに来て、あぁ終わっちゃうって気持ちと

アンコールならではの盛り上がりに

心と体が分離www

 

 

と、言いつつしっかり楽しみました。

楽しまなきゃ損だし。

KAT-TUNに失礼だし!!!

 

約15年経ったと言うのに

昨日の事のように思い出せるのは

それだけ素晴らしいコンサートだったって事。

 

言葉や、文章にするとなると

難しかったり、曖昧な部分もあるけど

あの時、あの場所で感じた気持ちは

今でも忘れてないし、忘れられません。

 

残念ながら円盤にはならなかったけど

思い出として残っています。

 

 

あっという間にコンサートが終了し

抜け殻となって帰宅した私は

待ち構えていた母と姉②と夜まで語りました。

 

とにかく格好良かった。

とにかくヤバかった。

感想と呼べないレベルの感想ですねww

 

ただ、母と姉②の感想を聞いて絶句します。

その理由は・・・

 

"あたしら、全員と触れ合えたで"

オカン・・触れ合えたって言い方おかしいやろ。

(正確には、これもハイタッチ的なやつですw)

 

ロッコサプライズ以上に贅沢な体験を

この2人は味わっていたんですよ。

 

しかも、全員っ!

 

"めちゃめちゃ良い匂いやった"

"汗まで綺麗やった"

“毛穴なかった"

"あんな息子欲しかった"

これを聞いて感じたことは

間違いなく母から私は生まれてきたんだなと。

感想が同レベルwww

 

 

と、まあ貴重な体験をしましたって話ですね。

羨ましさなんてありません。

 

私にはトロッコサプライズがありますから。

 

現場からは以上です。

 

 

 

 

みよん