◎オタクの始まり⑧
前記事の続き・・・
いつまで続くねん。って言うww
もうそろそろ終わります、てか終わらせます。
さて、話は戻りまして2009年。
かなり時代は進んでしまいましたが
そこは敢えて気にしないで下さい。汗
2009年
この年は色々ありました。
この年だけじゃなく、ずっと色々ありますけど!!
まずは、アルバム
『Break the Records -by you&for you』をリリース。
次に、コンサート
『東京ドーム連続公演』です。
しかも、当初7日間だったのが8日間に変更!
労働基準法的に大丈夫?と言いたい所ですが
(所謂、ブラックですねww)
そんなの彼らには関係ございません←
この時のライブ応募者数は84万人。
そりゃ追加するよねww
トータルの動員数は、81.5万人。
東京ドーム14回公演分。
アリーナレベルなら50回公演分。です。(2度目の解説w)
もうご存知だとは思いますが
東京ドームを8日間ジャックしたのは
KAT-TUNだけです。
もう一度言います、、、
KAT-TUNだけだからね!
逆にこんな事するの、KAT-TUNぐらいだと思う。(褒めてます)
ファンとしては嬉しい話なんだけど
8日間って聞いて普通に心配した記憶がある。
大丈夫!?
体力持つの??って。
でも、彼らはやり遂げました。
凄い。としか言いようがないです。
そして、2010年。
映画"BANDAGE"公開。
劇中のLANDSボーカリストとしてシングル、アルバムをリリース。
ここで、あの時感じた不安の正体が判明しました。
KAT-TUNではない、彼の姿。
ひとりのアーティストとして歌う彼が
恐ろしく感じたのです。
本来であれば、自担の活躍を喜ぶべきなんでしょうが
私は素直に喜べなかった。
(映画に関してはまた別の話ですけど、、汗)
少なからず、数年間という時間を
赤西仁に費やしてきましたから
彼がどんな人間なのか理解してたつもりです。
(どんな人間=アイドル・アーティストとして)
間違いなく彼にとって転機になるだろう。と
直感で思いました。
別にソロ(または、別枠)で活動する事は珍しくない。
ただそれは、ドラマやメディアでの話。
音楽活動で、ソロはなかったからこそ
彼の中にある"何か"が変わるんじゃないかと。
才能を前面に感じさせる存在でした。
歌、そして魅せ方。
音楽に対する考え方など。
好きな事に注ぐ情熱と自由さは誰よりも持っていました。
だからこそ、不安だった。
グループから、ソロ。
"自分"対"自分"の環境は、才能が発揮される。
2月
日生劇場ソロライブ『Star Live 友&仁(You&Jin)』
そして、ロサンゼルス公演も行いました。
けど、、KAT-TUNのライブに彼の姿はなかった。
もうこの時点で結末が予想出来ましたよね。
でも信じたかった。
KAT-TUNとしての彼を。
最後の方になれば、愚痴ですよ。愚痴。
彼に対してマイナス要素の言葉しか
出ませんでした。(好きだからこそです)
2010年に入ってからの彼は別人のようでした。
そこには色んな理由や、状況があったとしても
苦しかったし、辛かったです、、。
2010年8月
この日を迎えるまで、彼らにもファンにも
様々な事がありました。
彼が残した物はあまりにも大きかった。
でも、私はやっと解放されたって気持ちもありました。
彼に対する言葉に、疲れ切っていたのです。
好きだからこそ、理解したい。
応援したい気持ちはありました。
けど、そんな気持ちも許されない。
言っちゃいけないような状況でしたから。
それぐらい、彼が残した物は大きかった。
良い意味でも悪い意味でも。
許せない気持ち、応援したい気持ち。
もう滅茶苦茶です。
それぐらいKAT-TUNの彼が好きだった。
好きだったんです。
"方向性"の違い。
KAT-TUNじゃ出来なかったのか
ジャニーズじゃ出来なかったのか
それは、本人達にしか分かりません。
けど、彼がしたいこと、やりたいことを
音楽を通して伝えてくれてる今現在。
何が正しくて、間違ってるか分からないけど
好きで良かった。と感じてます。
ほんと、色々あったけどね。
赤西脱退後もありすぎて書ききれないけど!!泣
私のオタクの始まりは、KAT-TUNで
赤西仁だった事は事実です。
彼がいたからこそ、今もKAT-TUNが好き。
これも、変わらない事実です。
ありがとう、KAT-TUN。
これからもよろしくね。
みよん